1945年3月9日夜、アメリカ軍編隊が首都圏上空に飛来。
3月10日に日付が変わった直後B-29爆撃機325機により爆撃が開始され、
集束焼夷弾E46を中心とする油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾エレクトロン焼夷弾など、
38万1300発、1783tが投下され、死亡・行方不明者は10万人以上と言われる。
その後も4月13日、4月15日、5月25日に大規模な空襲を受け続けた。
大阪では3月13日深夜から翌日未明にかけてに空襲が行なわれ、
6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が続けられた。
一般市民 10,000人以上が死亡したと言われている。